いずおちか

記事一覧(35)

自分の目に映るものが世界の全てではないと思います。

時々、呟いたり友だちに話したりしていること。そのうち書こうと思ってたけど、なんとなく、今、書いておこう、と思いました。否定的な「日本は~」とか「この国は~」とか、そういう「主語の大きい話」を声高に言う人がどうも好きになれない。たいていの場合、それはなにげなくネットを見たときの「一般人のつぶやき」という形で目の前に現れるんですけど。(SNSとか)似たものでは「日本の会社は~」とかも嫌い。「一部の会社でそういうところはある・あるかもしれないけど、 それを全ての会社がそうだと、勝手にレッテル貼るのはやめてくれませんか。 少なくとも私の勤める会社は違いますよ。 外資でもなんでもないド日本企業ですよ・・!」と。それは「その人が見ている世界」でしかない、と思っています。「自分のまわりはこうだ」「自分の経験はこうだ」「自分はこう思う」とかを自覚できてるんだったらいいんだけど。なんで世界には、色んな人がいて多様性溢れていて、それが面白いのに、「〇〇は~」とか安易に断定しようとするだろう。その、あなたの狭い視野をもって、「〇〇は~」とか言ってほしくないわけですよ、こっちは。もっと、色々な、複雑な面を、知りたいし見たいんです。「都会は~」「田舎は~」とかも「ひとくくりにして」論じようとしているものもとても苦手。そういう考えは、積極的に絶滅させていきたい、と思っています。(記事とかインタビューとかをまとめたり、発信や発言をコンパクトにまとめなければいけない都合上、 そうなっているものは多々あると思うので、全部が全部、消えてなくなれ!と思うわけではないけれど)実際にその瞬間の顔を見たことは無いけれど、そういうことを言う人は、なんか、その時に「無駄にドヤ顔してそう・・」と思う。そのての「イラっと」する場面で、いつも思い出すことがあります。数年前の出来事でした。職場みんなで集まって受講する、とある研修のグループディスカッションの場で旦那さんの転勤で東京に引っ越してきて1年が経たない関西出身の若い女性が言った。その人は妊婦さんだった。「”東京の人”って冷たいですよね! 電車譲りませんよね。 ゆずってもらえたことないです!(怒)」 研修の主題とは多少違うところのコメントだったし、時間も無かったので、その場の流れ的に口をはさめなかった、はさまなかった。でも、今、思えば、あの時に、ちゃんと彼女を諫めておけばよかったな、と思う。「ちょっとそこの娘さん。そんな”私の世界は世界の全て”な考えで親になる気ですかね?」くらい言ってやれば良かった、と今でも後悔している。(ヘタレなのでそんなことは実際言えないであろうことは自覚しています)その時、内心思っていたことは、こうです。「・・・だまれ・・! 私は3回譲られたことあるっちゅうねん!!  もちろん東京のど真ん中でや。 トーキョーメトロ!でや。 言っとくけど、私は経産婦じゃないからな。 何が言いたいかと言うと、”妊婦でもないのに"席を譲って頂けるんやぞ。 当たり前やけど、マタニティーマークなんてつけてへんぞ。 Aラインのふわっとしたワンピ来て、重そうな紙袋とか持ってると、 皆さんにこやかにどうぞ、と言ってくださるぞ。 男性の時もあるし、女性の時もあったわ。 こっちはとっさに何が起こったかわからずに『え?いいです』と断ってしまうけど、 相手の優しそうな笑顔を見て『妊婦だと勘違いされてる・・』と気づいて、 『妊娠してないです』と言って相手に『しまった!』と思わせることもしのびなく、 かといって座ることもいたたまれず 『すぐ降りるんで^^』とか口走ってしまい、 目的地とはぜんぜん違う駅で降りる羽目になるんやぞ! なにをもって”東京の人は冷たい”とか言うてるか、 この下腹ぽっこりぽっちゃり体型の私の前でもう1回言うてみい!」ちなみに、その娘さんが「東京は冷たい」と言い放ったとき、彼女はドヤ顔をしていたように記憶しています。20代そこそこにも見える美人でとても華奢・スレンダーな娘さんでした。(万が一、これ読んでしまって傷つけたらごめん・・・ でも、私も傷ついたんですよ、長年住んできた「東京」という場所を不当に貶められて。)私の目に映る「東京の人」は全然冷たくなんかないですよ(主張)。(正確に言うと、冷たい人も暖かい人もいろんな人がいるんだと思います)世界は広い、と思う。自分の目で見ることは大事で、そうやって見たことをもとに、思考して”己の考え”を形作っていくというかそうするしか無いと思うんだけど、「自分が見たものがこの世界のすべて」というのはあまりにも人として未熟に思えるし、危険な思い込みだと思うけどな、ということは言っていきたいなあ・・・とあらためて思ったので書きました。そんなこんなで(どんな?)、「主語が大きい人」かつ「その対象を否定する人」を見たら、これからは後悔しないように必要に応じて「それは大変だね・辛いね」くらいの慰めはしたとしても「でも、それはあなたの周りがそうなだけかもしれないんだよね。ごめんなさいね。 でも、変なレッテル貼るのはやめてもらえると嬉しいんですよね」ということを出来るだけちゃんと伝えられる人間になりたいなあ、と思っています。 ※ ヘタレだから出来るかどうかわかんないけど・・・ ※ 当然、自分も完璧には出来ていないとは思うので、   天に唾吐いてたらごめんなさい。。。 

「女性は○○だね」と褒められても、あんまり嬉しくないんです。

サラリーマンとして「会社の飲み会も楽しいですよ」とこないだ書いたところなんですけど。たまー・・に「・・・今回はやめとこ」と参加しない選択をすることもあります。ほんのたまに、だけど、前よりその回数は微増した気がしています。単純に地元との週末往復回数が増えたり、今年は色々と休みの日に出歩いたりも多かったので、体力(+お金もね・・!)温存のためだと思っていたのだけど。ふと。それだけじゃないかも・・・、と。なんとなく思い至りました。「なにごとも人それぞれだよね」という”己の価値観”が強くなっていくにつれ、逆に”それぞれを前提としない”ような価値観、なんというか「レッテル貼ってる」感じの発言を聞くと、知らず知らず疲れている自分がいて、そういう風に疲れそうな場を避けるようになったのかもしれない、と。例えば。「男って○○だからね~」「女性は○○だよね」とか。別に誰を貶めるわけでもない、悪気もない、お酒の席での他愛もないそんなコミュニケーションに「ひとくくりにしないでほしいんだけどなあ・・・」ともやもやするようになってしまった。ああ、気難しい、めんどくさいわ、私ってば。ちなみに自社は「セクハラ」教育が徹底しているので、「結婚はまだ?」「子どもは?」なんてことが女性相手に言われることは無いし、女性蔑視や性的対象とされるような不愉快な発言もありません。(少なくとも自分の周囲は)とても平和。恵まれていると思います。それでも、「性別」で線引きをされてしまうこと、それ自体は時々あって・・・もやっとしてしまいます。わたしは、社内で人事・教育部門、総務部門関係の仕事をしているのですけども。社内の酒席で仕事の話になったので、「この仕事には社員への”愛”が必要だと思うんですよー」と酔っぱらって話したら、「さすが。女性にはそれが出来るよね」と男性のボスからにこにこ返されてむー・・・となります。・・・・なんでや。それ、性別、関係ある・・?他にも丁寧な・親切な仕事をしようとすると「母性だね~」という単語をもって誉められることもあった。言っている方は悪気はまったくないんだろうけど・・・。男性には「愛ある仕事」が出来ないわけ?出来る人もいるでしょ。人それぞれ向き不向きでしょ。女性だって、向いてない人いるでしょ、男性で向いてる人もいるでしょ。もやもやもや。一応、「男女関係ないと思いますよー」くらいは返すこともありますが、酒席ということもあり、ぜんぜん相手には響いていない。それ以上、力説して否定するのもカドが立つしなあ・・・。考えすぎてしまう自分、こんなことで目くじら立てたくないなあ、と悩む自分もいるけれど。うーん・・・もやもや。もちろん毎回そういう風にもやもやしているわけじゃなくて、まったく気にならずに楽しく飲む時のほうが多いんですけど。「きっとまたもやもやする予感がするな~・・」と第六感が働く?場は、「ちょっと今回だけやめとこうかな」と思うようになりました。話は少しそれますけど、以前、どこかで読みました。(私なりの解釈が入っている意訳ですが)「多様性、ダイバーシティ、というのは 同質的集団に異質なものが入ってくるということなので、 本来は”居心地が悪くなる”もの」「心地よいだけの空間が維持できているのだとしたら、 その集団は真の意味の”ダイバーシティ”は実現出来ていない」”もやもや”について考えていた時、「ああ、だからちょっとだけ”居心地が悪い”と感じることが増えたのかなあ」とも思いました。異質なものをありのままに異質なものとして受け入れる度量のある集団でない時に、わたしは「うーむ・・・」とあれこれ考えて、楽しくなくなってしまうのかもしれない、と。そして、「女性は○○」「男性は○○」と「ひとくくりコミュニケーション」はある意味、省エネというか、楽なのかもな(楽だったのかもな)、とも思いました。「この”個体”はどういう価値観を持っているのか」をいちいち探ったりしなくていいし、「私はこうです」と表明する必要も無い、違う価値観を相手に「わかってもらう」労力をかける必要も無い。対立も生まれにくい。日本は、比較的、同質性の高い集団、だと言われるし、たぶん、その側面は大きい。本当の意味の「多様性」に慣れている人は、まだとても少ないんじゃないかな・・・、とも思います。なんとなく、私がたまーに感じる酒席の”もやもや”の原因や解決の糸口はそのあたりにあるような気はします。今は全然考えがまとまってないけれど。「それぞれ」が認められるようになるためには、慣れるまでは多少の「居心地の悪さ」を経ていくことは必然なのかもしれないなあ・・・どうやって、その居心地の悪さを解消していくのがいいのかしらねえ・・・まだまだ私はうまい策が見つけられていません。(繰り返しますが、自分の周囲はそんなもやもやを感じさせない人の方が圧倒的大多数ですけど)試行錯誤ですね・・・いろいろ。「もやもやすることもありますよね」ということを記録しておこう、と、なんとなく思ったので。つらつらと書きました。

会社の飲み会も楽しいですよ。

先日、参加させてもらった「学生さんたちから社会人に”社会人生活の本当のところを聞こう”会」について。「趣味やプライベートと仕事は両立できますか?という質問」についての思うところは書いたのだけど。もう一つ印象に残った「まあ、人それぞれですよ」と思った話。「会社の飲み会とかでプライベートが潰れませんか」こういう質問が出てくる背景には、「会社の飲み会」というのがあくまでも「つきあい」であって「行きたくないけど”行かなければいけないもの”」というすりこみみたいなものが出来ているのかもしれないな、と思いました。実際、たまにネットとかで見ますしね。「付き合いは時間の無駄!」的な。あと、以前、とあるイベント(フリーランスの方多め)参加した時も言われた。「次回いついつなんです~良かったら来てくださいね」「あ~、その日は会社の飲み会があって行けなくて」「それは一番行きたくない飲み会ですね~」・・・なんでや。行きたいから行くんですよ、わたしは。カドを立てたくなかったので、その時は面と向かって「違います」とは言えなかったけど。わたしは比較的上司や同僚に恵まれている社会人生活を送っているので、会社の人と飲みに行くの、嫌いじゃないです。学生の時からお酒の場が好きだったこともありますけど。話が面白かったり、ためになったりでご一緒するのが楽しい先輩や上司はいるし同期や同僚とくだらない話をしたり、仕事の愚痴を聞きあったりしてストレス解消することもあるし。上司やボス(偉い人)と飲みに行くのもぜんぜん苦痛じゃない。「その立場の人はそういうことを話すんだなあ」ということを知れるのってわりと面白いんですよね。気さくな方も多いので。「ボスといえども一人の人間・・・!」ということを知れるのは本当に楽しい。もちろん、入社した当初は緊張しましたけど。酔うと口の悪い親戚のおじちゃんみたいなマネージャーもいたし、お酒の注ぎ方がなってないって教えられてびびったりもしたし、会計とか幹事とかうまくできなくて「ひー!」って思ったこともあるけれど。そのたびに「ぜんぜん気にしなくていいよー」と言ってくれる優しい人がいたし、そういうのが得意でやってくれる人もいたし。何度か皆とご一緒するうちに、色々と「慣れ」ました。楽しくなった。(注ぎ方教えてくれた人のことは今でも感謝していて思い出すと嬉しくなる)「会社の飲み会」って一言で言っても、色んな場があるわけで。職場全体が「体育会系飲み会推奨」な部署としたら、「しっぽり飲み好き」が混ざると、あんまり相性が良くないかもしれないし、逆もまたしかり。昔、なにげなく友だちに「会社の飲み会で昨日は終電だった」と話したら、「自分は会社の飲み会はつまらないので、二次会なんて行くわけない・・」と絶句されたこともあったなあ、そういえば。まあ、それぞれですよ。「強制」度合も会社や部署それぞれ。会社とて「多様な人間の集まり」なので、なかには「この人とはあまり飲みに行きたくないんだよなあ・・」って思う相性の悪い人もたまーにいますけどね。だったらそれは回避する手段を見つければいいわけで。個人の事情として「どうしても行きたくない」のなら、それはそれで話し合いの糸口はある職場は多いと思いますよ~・・と思ったりもします。無理はしすぎてはいけませんしね。でも、最初から「会社の飲み会=つまらない」と先入観をもって決めつけてしまうのは、それはそれでもったいないな、と思うので。書きました。長々と。

「社会人はプライベートありますか」と聞かれたので。

とあるイベントで複数の学生さんとお話をする機会に恵まれました。社会人に聞きたいこと聞いて本音で話しましょう、的な。色々お話できて、自分としてはとても楽しかった・・!参加した方々のお役には立てたかなあ・・立ててたらいいなあ・・・けど、もっと話を引き出してあげれたんじゃないかなあ・・・うじうじ。と、うじうじしていてもしょうがないので、印象に残った質問(+自分の経験)やその日話したこと、いま思うところを少し書いておくことにします。 #当日の話は「他言無用」扱いでしたが、  自分自身が思っていることを書く分には問題なかろう。仕事とプライベートの両立ってどうされていますか?趣味は何ですか? 時間は取れますか? ということを気にしている学生さんが何人もいたのが印象的で。・・・そんなに心配しすぎることないよ、大丈夫じゃないかな・・・長い社会人人生、繁忙期で「家と会社の往復のみ」な時期が無いとは言わないし、 会社によっては「馬車馬のように働いて、成長して金を稼いで!」という価値観のところだってあるはずで、それを望む人はそっちに行けばいいんですけど。社会人・会社員だって、趣味もプライベートも楽しんでる人いますよ。当然「仕事の忙しさ」というのは一人一人千差万別なので、一概には言えないけど。あと、たいていの仕事には「波がある」ので、忙しい時もあれば、そうじゃない時期もある人が多いかな、と。けど、自分の時間をコントロールしたい(趣味をやりたい)と思う気持ちが強ければ(強い時期ならば)望む働き方を実現することは不可能ではないですよ、と。 自分自身、もう10年以上、部署は変われど同じ会社で働いていて、ある程度、仕事の繁忙期・閑散期は予め読めるし、上司との信頼関係も出来ている。(→自分はここを重要視しています)休みの日は好き放題、趣味に没頭しているし、「この日、休みます。」という相談を頭ごなしに否定されることは無いです。 (昔は休みの日も気になって仕事携帯見ていた時もあったけど・・・  メリハリがつかないので、いつしか「やめよう」と思ってやめました)なんか「社会人になったらまったく遊べないのでは・・?仕事と家の往復だけで過ぎてしまうのでは?」という心配さえしていそうだったので、そこまで心配しすぎることは無い、と。  余談ですが、ちなみにわたし自身は、学生時代の方が、授業とバイトとサークルで忙しかった。。。。 他のことをやる余裕は無かったなあ・・・と。 バイトもサークルも「プライベート」と言ってしまえばそれまでだけど、 「決まったスケジュール、やるべきことをこなしていく」 「空いた時間は稼がなくてはいけないのでバイトで埋める」生活だったので、 なにげに社会人になってからの方が、 「自分の予定を好きなように立てる」感覚を持てているような気すらします。人それぞれ。同じ労働時間でも、仕事内容や自分の関わり度合で感じ方はまったく違って来るし。そうは言っても慣れないうちは疲れるのも本当だし。でも、慣れればなんとでもなるし「社会人(会社員)=疲弊」かというと、そんなことないよ~と私は思うので。あくまでも私自身の一例ですが。小さいことだけど。こういう考えの会社員もいるから安心してください、ということを書いておきたくて、書きました。※もう一つ書きたい話(会社の飲み会の話)があるけど、 長くなったので、それはまた次回.....

「早寝早起き推奨の観光地」でいて欲しいというわがままな願い

「奈良は夜、店が閉まるのが早い」たまにそういう意見を見かけることがあります。(いわゆる”まちづくり”系の文脈で見ることもある)極端なもの(←失礼)ものになるとそのことを「宿泊客が少ない」ことの理由にして、「もっと夜も楽しめる街にしよう!」みたいな言説を見ることもある。うーん・・・・・・・・・・・・・・そのままで良くない? だめ?たしかに、夜遅くまで空いている店は少ない印象はあるけれども。世界有数の観光地であっても、夜も深まると人通りはほんと少なくなる。静かになる。「賑わい」が消えたように映る。(のかもしれない)でも・・・それは「改善すべき悪い点」なんだろうか・・・?そのまま「個性」として活かす思考がもっとあっても良いのでは。もやもや、ぐるぐる。わたしは、関東と奈良を行き来する時に夜行バスを使うことが多いので、「早朝の奈良」に降り立つことが多いのですけど。6時台に到着した後のちょっとした1、2時間、「せっかくだし」と、周囲を散歩して回ることがよくあって、そりゃあもう!!美しい風景があちこちで見られるのですよ。ぽかぽかした朝陽を浴びながら、鹿がのんびり歩いている公園でベンチでぼーっとできる春や夏。(ほんと、この時間は至福・・!)夏も、早朝はまだ涼しくて、生き物や植物の息吹を感じられ。冬は冬で、夜明けの澄んだ空気から太陽が昇ってくる空の色は、毎回、「私が写真家だったらここから離れない・・!」と思わせてもらえるものです。まだまだ限られた場所しか自分自身行けていないけれども、それでも、古来からの大きな神社仏閣がたくさんあるこのエリア。「神様が起きだす時間」を体感できることの貴重さをいつも感じます。だから「夜が早いからダメ」じゃなくて「夜は早く寝られるから、朝を楽しみやすくて良い」ってことじゃないの?と。それこそが「古都を訪れる楽しみ」の一つでもいいよね・・?とか思ってるわけです(力説)。私は関東で住んでいて、そこで知り合った奈良出身ではない「奈良好きの友だち」もたくさんいるのだけど、その人たちも「静かな奈良」を楽しんでくれているように思う。「夜も煌々と灯りのついた奈良」を求めている人は・・・少なくとも自分の周りにはいない。例えば、お祭りの日とか「ハレ」のときに「今日は夜遅くまで騒ごう」な日はあってもちろんいいと思うし、それはそれで楽しいんだけど。普段は「夜は静かに過ごす」文化の街があってもいいのかなあ・・とか、いつも、つらつらと考えます。年がら年中「繁華街」になる必要はあるんだっけ?本当にそうしないと「街・観光地として生き残っていけない」んだっけ?ぐるぐる。「夜は寝よう、朝は早起きしよう、それが人間としての営み・・!」みたいな「自然派正義論」を言いたいわけじゃないんだけど。自分自身、新宿や銀座や大阪や・・・大きめの繁華街の「夜」の姿を満喫するのは大好きだし、なんならそこで朝まで飲んだ後の「繁華街の夜明け」の風景は、かなり好き。なんてゆうか、「人間の欲望の残り香」みたいなものが空気中にほわーっと漂っていて、それはそれで美しいと思う。けど、全部の街が同じ方向を目指す必要あるんだっけ?と不思議なのです。それとも、観光業、とかを考えると、たくさん人を集めること、「賑わっていること」を優先させなきゃいけないのかなあ・・・色んな立場の人には、その立場の人なりの見えている景色があると思うので、一概に「これがいい、こうすべし」が言えるものではないし、機会があれば地元の人ともたくさん話してみたいけど。なんか、なんでもかんでも「発展」を目指すことが金太郎飴みたいに感じてしまう今日この頃。こういうことを思うのは「時代について行けない人」かもしれないけれど、「夜が早い街」には夜が早い街なりの、人を惹きつける魅力が絶対ある!自分なんかはそう思うので。少なくともわたしは、奈良市に滞在した日は「早朝を楽しむ」ようなタイムスケジュールをもって動きたいな~と、いまは思うし。その気分を忘れないようにここに書いておくことにしました。 #ちなみに 「夜に空いている店が少ないので、奈良ではゲストハウスのゲスト同士の交流が盛ん」という  話を聞いたことがあります。それはそれで街の個性として大事にして良いものですよね~・・・  (真偽のほどは不明です)*****************以下は、告知です***************** 上に書いたような思いをふつふつとたぎらせていたら、 ご縁あって、奈良のゲストハウスで 「穏やかな夜を過ごし、早朝の朝をさんぽする」イベントを開催できることになりました。スマホを脇に置いておいて ”ゆっくりした奈良の時間”を楽しんでみませんか、という会です。 地味~なイベントですが、心地よいゲストハウスでゆったりした時間を過ごそう、という試み。 ほんと、こういう思いを共有できる方と知り合えたことが自分はとても幸運。 このゲストハウスがとても好きなので・・主催者の自分が今からわくわくと楽しみにしています。 もし良かったらお越しくださいませ。 「奈良でプチデジタルデトックス~スマホを手放し、心身リセット~」。

吉野のお宿で妖怪を語る~見えるもの、見えないものそれぞれ

先日、とある研修(場所は東京)を受け、自己紹介で出身地を言わなくてはならないので「奈良出身です」と言うと、周囲から口ぐちに「鹿がいるところですよね」「修学旅行で行ったことあります。公園。鹿に襲われました」と、「いつものあれ」を浴びました。来て頂いたことがある、というのはもちろん嬉しい、有難いこととして県外に出た中部・南部出身者としては「私たちも遠足ぐらいでしかそのエリア行かないですよ・・・」と思う、あのいつもの「あるある」。ちなみに「平等院鳳凰堂とか」と仰っていた方もいて、「それは京都」と思いましたが、突っ込むと場の空気が悪くなりそうなのでスルーしてしまいました。気弱、気弱ですよ、わたくし・・・。かくいう私は、中部出身。ここ2、3年、二拠点目指して奈良通いをする過程で北部にも良く行くようになりましたが、それまではいわゆる観光エリアはあんまり行ってなかったです。大阪出るほうが近いんですよね・・・買い物も遊びも。今思えばもったいなかったな~・・・と思わなくもないですが。(今、散々行ってるからいいか・・)最近、県外の方に話す機会がある時は 北部:いわゆる「鹿公園」をイメージして頂けると良い観光エリアです。 中部:大阪へのベッドタウン的な街多し。ただし、実は地味に歴史史跡は多いです。 南部:山です。吉野の桜、とかが有名です。と、お伝えしています。(異論、反論、「もっとこう説明した方が」という方がいたらごめんなさい)「奈良」と一口に行っても広いのですよ・・・・北部から南部は車で3時間くらいかかりますしね・・・と、前置きが長くなりましたが、中部からはなかなか行く機会の無い南部。先日、初めて、その玄関口とも言える「吉野郡」のゲストハウスに宿泊する機会に恵まれたので、そのことを少し書いておこうと思います。なんせ、ものすごく素敵だったので・・!たまりませんでした。幸せでした。吉野駅に降り立った瞬間、もう空が神々しい・・・。

「地域のイベント」の主催側をやってみて体感できたことや、さらなる模索など。

二拠点、空き家活用、、、模索中。課題は山積みですが、「模索」を通して得られる刺激がたくさんあって、日々、学びです。「地域イベント」と銘打つにはおこがましいサイズの二箱だけの小さな小さな古本市ですが、やってみてこれまたたくさんの刺激・学びを得ることが出来ました。せっかくなので、あまりまとまってはいませんが、いくつか簡単に感想を書いておこうと思います。(自分自身の備忘的側面が強いので長文だわ、読みにくいわ・・・だと思います。。ご容赦ください。。。)何はともあれ関わって頂いた方への感謝。これだけは・・!何度も書いているのでしつこいかな、と懸念はしつつ、あらためて、有難うございました!古本市と並行して、福井県南越前町の事業(流動創生)として当日お越し頂いた「RoundTrip」チームの皆さまのおかげで空き家の畳あげも完遂。感謝感謝です。(このあたりについてはまた別途詳しく・・)◆”主催側”になってみて見える景色 この頃、薄々なんとなく感じていましたが、 ものごとを「主催」するのには、物凄いパワーがいることをあらためて体感しました。  同じ「一箱古本市への参加」であっても、参加者として遊びに行くのとは全く違う。 主催側ってとにかく「手間」が何倍も何十倍もかかるんだなあ・・・と。 (私のやり方が不器用なだけもあるかもしれないけど) チラシ作ったり、告知のWEBページ作ったり、関係者に協力をお願いしたり・・・ サラリーマン仕事の合間の夜や休日にせこせこちまちまやっているので「いつもタスク消化にバタバタしている」状態。 世の中に溢れる「イベント」は、こういうことの積み重ねで成り立っているのかと思うと、くらくらする。 皆、凄い、凄すぎる。リスペクトしかありません・・!  とはいえ、自分自身は、何もかも初めての経験。 今は、しんどさよりも「新鮮! 楽しい!」の気持ちの方が強かったのが救いでした。◆できること、と、出来ないこと。完璧は望めない。 上記にも関連しますが、参加者側から見れば「もっとこうした方がいいのにな」と思うことはあっても 手間やコストの関係で出来ないことはたくさんあるんだろうなあ・・と。 当たり前と言えば当たり前だけど、「消費側」だけに居ると忘れがちなこの感覚。 今回で言えば、近隣の方への告知。 駅にポスターを貼れる仕組みがあるのを知って活用はしてみたけれど。(効果は謎)。

初めて一箱古本市に出店してみました。

活用模索中の空き家。今年(2018年)に入って、なにか「本」をテーマにできないかな、と思い始めて、千葉のシェア本屋さんを手伝ってみたりと「本屋」の世界を垣間見て色々学んでいる最中ですが、8月にその修行?の一環として、「一箱古本市」なるものに初めて出店してみました。お手伝いしているシェア本屋さんの名義で3月に少しお手伝いをしたことはあったものの自分だけで、というのはもちろん初めて。正直、そんなの自分に出来るのかなあ・・・という心配しか無かったのですが、出店者の募集ページに書いてあった「初めての方でもサポートします」というkamebooksさんの温かい言葉を見て、思い切って「えいっ!」と勇気を出して申し込んでみました。何事も経験・・・ ちなみに、Kamebooksさんは「亀と本と酒を愛する店舗をもたない本屋。」 「普段は、本とは関係のない仕事をしながら、週末はkamebooksという屋号で、本の活動をしています。」という点に サラリーマンのわたしは勝手に親近感です・・。 kamebooks :https://kamebooks.jimdo.com/夕方から夜にかけての開催、の場だったこともなんだか自分にとってはとても「素敵・・・!」と思えて。1年前は、自分がこんなことに手を染めて(笑)いるなんて、夢にも思ってなかったなあ・・・当日は、お天気良好。会場となる西千葉のHELLO GARDENに行ったのも初めてでしたが、公園のような空間に、思い思いの本を持参した一箱店主の皆さま。いいなあ、こういうの・・・。

「読書会」のお好みもそれぞれ。

先日、「読書会」なるものに参加して来ました。きっかけは、もともと主催者の方と知り合いだった・・ことだけれど、その会の告知を見た瞬間、「これは・・行きたい!」と。楽しかったなあ・・・。「読書会」にも色々なものがありますが、ためしに軽く検索してみると・特定の本や作者をテーマとしたもの・「読書を通じて本好きと繋がろう」といった交流メインのものといったものが今は主流なのかな?という印象があって。それはそれで参加してみると面白いことはたくさんあると思うのだけど、自分の趣味指向としては、なんとなく「また今度でいいかな」と後回しになっていました。それなのに、今回は「行きたい!」と思った理由。それは、どちらかというとその会が「ただ、読む」ことに主眼を置いていた点なのかな、と思います。そして(想像ですが)主催の方の中に、「こういう場にしたい」という芯の強い思いがあって、わたし自身もそういう「場」がどちらかというと好き、だったことかな、と。・まちの古本屋さんに集合して、各自が本を見つけ(持参本でも可)・公園にある大きなケヤキの木の下で、ただ、本を読む。その世界観がものすごく良いな、と思いました。実際、参加してみると、柔らか~な空気に包まれた2時間。ケヤキの木が自分たちを見下ろしていて、まるで自分たちが絵本の中の登場人物になったよう。穏やかで贅沢で、ものすごく幸せな時間でした。 ※ちなみに次回開催は10月21日(土)。例えば、「音楽好き」と一口で言っても、家で音楽を楽しむのが好きな人もいれば、ライブが好きな人もいる。歌詞を中心に楽しむ人もいれば、メロディを中心に楽しむ人もいれば、フェスが好きな人もいれば、クラブが好きな人もいる。(ちなみに自分は歌詞派なので、洋楽より邦楽が好きです。 ライブは「好きな対象なら自分からチケット取ってでも行く」ほうですが、 これがフェスとなると「誘われれば行く・・かな」程度。 これも人それぞれだな~と日頃思います。)同じように、「読書会」と言っても様々な形のものがあって、好みは千差万別。当然だけど、どれが正解、というわけではないし、「今日はこっちの気分だけど、次回はこういう会に行きたい」とその時の気分で、いろいろ好きなものがあってもいいのだな、と。それぞれが、それぞれの好みの読書会(を、始めとした本との接点)に出会えるといいな~、とあらためて考えたりもいたしました。