本屋さんで見かけて気になったので「うつヌケ」を買って読んだ。
(「うつヌケ」、今年(2017)の新語・流行語大賞にもノミネートされてたしね・・・)
就職して数年経った頃、ハードな仕事に疲弊し、軽い鬱にかかったことがある。
当時の私の症状は「涙が止まらなくなる」だった。
会社に行って、、、資料を読んでも、メールを見ても、誰かから話しかけられても、会議に出ても、、、何もかもが悲しくて、鼻をずるずるしながらずっと下を向いて風邪をひいているフリをしていた。
幸い、友人が「病院に行け」とアドバイスをくれて、良い保健師さんに出会えたことと会社が仕事量を減らしてくれたこと、薬も効いたので、大事には至らなかったのだけど。
あの時の「自分の肉体が、感情が、意思の言うことをまったくきかなくなる感じ」は忘れがたい。
その後の人生を(興味関心、という意味で)、変えたといっても過言ではないと思う。
「うつヌケ」には、作者のみならず、17人の人の「鬱」の症状が描かれている。
「症状は人それぞれ」だと、なんとなくは知っていたけれど、
こうやって読むと、本当にバリエーションがたくさんあるんだなあ、ということがわかる。
(少なくとも、「双極性障害」系の症状については、わたしも全く知識がなかった)
苦しみの正体がわかることと、苦しみから逃れられることはイコールではないから、
苦しみの最中にいる人がこの本を読んだからと言って劇的に治ることはないんだけど。
でも、何かの力にはなると思う。
「台風が近づくと気分が落ち込む」とかは実用的?な知識だなあ、と自分は思ったし。
あと、周囲に知識があると無いとでは、また違うと思っているので、
当事者でない人がむしろ読んで欲しい本だと思う。
この本にも書かれているけれど、鬱から抜け出すには「自分を好きになること」が一つの鍵になる・・・
それに関連して、少し思い出したこと、考えたことがあって。
たまたまこれを読んだ数週間後に「アラサー」の人たちと話をする機会があり「29歳」という単語を耳にして、
唐突に「29歳のクリスマス」を思い出した。
言わずとしれた?マライア・キャリーの代表曲「恋人たちのクリスマス」が主題歌の、1990年代に放映されたテレビドラマ。
テレビっ子で宵っ張りで早熟な子どもだった私は、この大人たちが妊娠したり不倫したりするドラマを別に興奮することもなく、淡々と娯楽として観ていたのだけど
その最終回の主人公(山口智子)のラストのモノローグにものすごく衝撃を受けたのだ。
「私は私のことが好き。だから、幸せ」
一言一句は違うかもしれないけど、そう言って、主人公が「前を向いて生きる」ことを決めるシーンだった。
「そうなのか・・!」と、何十年経った今でもその時のシーンが脳裏に蘇るほど強い感銘を受けた。
幸せになるには、他人は関係ない。自分自身がそれで良いと思えば、それで良いんだ・・・!と。
・・・我ながら変な子ども。
今、思えば、母親が自分の人生を悲観するタイプだったので、
「幸せって何なんだろう」ということを幼い頃から考えていたのだと思う。
それから、その言葉は「生きる指針」と言っていいほどに頭に残っていて、
自分自身はずっと幸せだと思って生きている。
そんな私でも。そんな私なのに。
症状は軽いとはいえ、大人になって「鬱」を患うことになったのだから、人間という機械は本当にややこしい。
自分を嫌いだという自覚はないのに。自分自身は幸せな人間だと信じているのに。
なぜだか涙が止まらない、憂鬱が止まらない、という状態に陥り、愕然とした。
でも、あらためて、いま「うつヌケ」を読んでみて、
「自分を好きになること」の意味が、まだまだ自分はわかっていなかったのかもしれないなあ、と思った。
表面的に「自分を好き」だと思うだけでは足りなかったのだと思う。
「理想ではない自分」「できない自分」をどっか「ダメだな、わたし」と思っていて、
「でも、そんなダメな自分も好き」だと思おうとしていたのだと思う。
そうじゃなくて「ダメじゃない」のだ。
必要なのは、無条件に自分を認めて、愛してあげることだったのかもしれない。
何年も何年も経った今、この本を読んで、ふと、そんなことを考えるに至った。
「自分を好きになる」って奥深いんだなあ・・・。やっと入り口に立った気がする。
無条件に自分を愛せる人も世の中にはいる。
でも、そうじゃない人がごろごろいる。
そうじゃない人の中にも色んな状態の人がいると思う。
でも、どんな人も、皆愛すべき、愛される存在であって欲しい。
「それぞれ」の人が、それぞれに楽しく生きれるといいなあ・・・と、つれづれと思ったのでした。
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