そういう話を、こないだ知人と、した。(オンラインのおしゃべりで)
ここ1年くらい、そういう言葉が、時たま、自分の口にのぼることに気づく。
別にそこまで他人が気になる性格では・・なかったはずなんだけど。
自分自身、仕事を通じて、人と話すことはあるし、(在宅勤務と出社がトータルでいうと半々くらい)
友達とLINEしたり、SNSで知人の発信を目にて近況を知ることもたくさんある。
いわゆる「コロナ下における孤独」みたいなものを体感している感覚は、まったくない。
でも、以前より「他の人はどうしてるんですかねえ」と口にしてしまう回数が増えたのは、なんでだろなー・・・
そういうことをぽつぽつ話してみた。
きっと、以前より「見えない活動」があるんだろうな、とどこかで思っているんだと、
そんな風に思った。
旅行に行った、どこかに出かけた、人とご飯を食べた、イベントに行った、、、
当初の「緊急事態宣言」時はほんとに街から人がぴたっと消えたけど、
それ以降は、各自がそれぞれ、自分たちのラインに従って行動ををしているとは思うのだけど、
そこには「個人差」がきっとすごくあって。
出かけたことをSNSに下手に書き込んだら不快感を与えたりすることも多いだろう、、という想像力を働かせて思いとどまっている人もいるだろうし、
SNSではない人間関係の中でも、「これをやった」話にどこかでブレーキをかけている。
自分がそうだから、そういう人もたくさんいるのかな、と思って。
だから「ほんとは、みんな、何してるのかなあ」と呟くようにぼんやり思うんだろうな、と思った。
ちょうど数か月ぶりにオンラインで話した友達が
「今日は麻雀行ってた」と言って、「麻雀、今の時期、するんだ」とびっくりしてしまったのだけれど。
でも、あらためて考えてみれば、別に大声でしゃべるわけでもなし、禁煙の店だというし、
「そっか、別に悪いことしてるわけじゃないし、感染リスクという意味でも高いわけじゃないか」とすんなり腹落ちもする。
でも、昔なじみの気軽な関係だから、何の気ない雑談でそういう「日々の活動」が垣間見えたりもするけれど、
最近は、色んな人の「なにげない活動」が見えにくい。
自分自身、最近の休みの日は、散歩がてら古本屋に行くことを楽しみにしている。
じっくりと本を選んでいると、時間を忘れる。
道中、喫茶店を見つけて、のんびりとコーヒーを飲むことも、日々の癒しにしている。
「旅行」とか「遠出」ではないし、大勢でわいわいやるわけではなく、ひっそりとしておひとりさま行動だし。
自分の中では安全だと思って気をつけて楽しんでいる娯楽なんだけど。
けど、自宅から徒歩圏内ならいいけれど、電車で1時間弱出かけた場所が・・そこが「都内」だったりすると、
リスクが高い、と不愉快になってしまう人もいたりするのかなあ・・と、少し心配になってしまうのも事実。
うーむ。
何を書きたいのか、とっちらかってきてしまった・・・
こんなご時世でも、もちろん「正しい感染対策知識をもったうえで」にはなるけれど、
楽しいことをしたり、出かけたりすることが単なる「悪」にはならないように、
ただただすべてが委縮する世界にはならないような。
そういう世界をつくっていけたらいいなあ、と。
コロナ自体はしばらく完全には落ち着かないとは思うけど、
「最近、何してるの?」という他愛ない話が、あんまりかまえないで気軽に出来るような、
そういう「心持」な世界は、早く取り戻したいな~と思ったので、
色々と模索を始めなきゃな、とも思うので、
今の気持ちを残しておきたくて、書きました。
0コメント