わたしが”勤め人”を選ぶ3つの理由。

新卒で企業に就職して早や15年近く。

忙しすぎたり、人間関係に悩んだり、仕事がうまくいかなかったり。

つらい時期はたくさんあったし、正直、鬱になりかけたことはあるのだけど。

それでも「勤め人をやめよう」と思ったことは一度もない・・・のが我ながら不思議なところ。


自分は「勤め人」として働くのが大好きです。


こういう話をすると「あなたの会社とうちの会社は違う」と言われることも多いし、

それもその通りだと思います。


勤め人として働くことが万人にとってベストな選択だと思っているわけで無いし、

同じ「勤め人」であっても、A社には合うけど、B社には合わない、ということもあると思う。

フリーランスだったり起業だったり、家庭に入ったり・・・それぞれの選択に”優劣”は「絶対に」無いと思っています。


ここに書いた理由はあくまでも「わたしの場合」。

でも、たまたまかもしれないけど、世の中にあまり「勤め人楽しい!」を公言する人を見ない。

なんとなく、淋しい。

もし同じような考えの人がいたら「勤め人」であることを心から一緒に楽しめればいいな~と勝手に思っています。

「お休みなのに給料が発生する」。

夢のような世界です。パラダイスだと思ってます(笑)。

やっぱり実家が自営業(個人商店)だったことが大きいと思います。

零細商店だったせいもあり「休めば休んだだけ、実入りが減る」のが当然の世界。

「休まない・休めない」を子どもながらに見て育ちました。

「有給休暇」という響きだけで、うっとりします。



「学生時代までは付き合う仲間は自分で選べるけれど社会人になってからはそうはいかない。自分の苦手なタイプとも付き合っていかなければならない」というのはよく聞く話です。

その言葉だけだと、ネガティブなイメージに映ることもあるけど、それは裏を返せば

「自分と異なる考え方をする人にも出会って付き合う必然性ができることがある」ということ。

「え、なんで?」だったり、「・・・そう来るか・・!」だったり。

「自ら選ばない・選べない」からからこそ、色々なタイプの人と出会えて、たくさんの「それぞれ」を知ることが出来て、刺激的です。


「仕事」も同じ。

今までの仕事を振り返ると、予想外の「これやってもらえる?」が自分の可能性を広げてくれたように思います。

自分で選ぶとしたらこの仕事選ばないだろうな~という仕事を振られることも、時々ありました。

特に自分の場合は「頑張ったら出来る」と半ば確信できることに対しては一目散に努力できるけど、

ちょっとでも「無理かも」に見えるようなことは躊躇しがちな性格。

そういう性格だと「自分の可能性」ってどうしても限定的になってしまうのかな、と思います。

今でこそ「結果がわからなくても全力を尽くしてみよう」と思えるようにはなったけれど、

昔は「負け戦は好まない優等生タイプ」(苦笑)だったように思います。

「勤め人」として働き、他人から「仕事を与えられる」立場だからこそ、

自分の知らない自分にたくさん出会えて、自分にとっての良い変化を生み出すことが出来たのかな、と思っています。

以前、「中学の頃の私って何してた?」話になったことがありました。

母はこう言いました。「ずっと寝てた。」

実際には夜な夜な深夜番組を見たり、本読んだり、時には友だちと遊んだりしてたはずなんですけど・・・

とはいえ、基本的にほっといたら一日中ごろごろすることは苦にはならない性分なのは間違いないです。

根がインドアなので一日中誰とも喋らないのも、別に苦ではないし、

「ま、いっか」と思いだしたら、許されるのであれば、どこまでも自分を甘やかしてぐうたらする自信はあります。


でも「会社」という組織に属すると逃げられない「人の目」「人との接点」がある。

「基本的にこの時間は働いてください。この成果を上げてください」という「制約」がある。

その「制約」を窮屈だと思う人もいると思うけれど、自分にとってはむしろ心地よい。

なまけものではあっても、きっと「怠け続ける」ことには不安はある。

「勤め人」としての制約があるからこそ、自分は幸せに働けている気がしています。

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