ダライ・ラマ法王が表紙・・・というおそろしく「宗教チック」なので、
たとえば電車で読むにはハードルが高すぎるような本なのだけれど、
「優劣ではなく人それぞれ」をもっとわかりやすい言葉で表現してくれていた言葉があったので、思わずメモした。
あるときから、私は人ひとひとりを機械の一部、歯車ではなく、細胞のひとつと考えるといいのではないか?と思うようになりました。
人間ひとりひとりが細胞で、みんなが大きな「人類」という人間を作っているのだと思うと、いろんなことがよくわかるようになります。
髪の毛の細胞の人、お尻の細胞の人、まぶたの人、唇の人、心臓の人、各部位の人にそれぞれ不満があり、それぞれの自負心があります。自分の部署でない機能に対して憧れを抱いたり、ねたんだり、自分の部署の仕事をおろそかにしたり、それも全てそんなふうに説明できると思います。
お尻の人には頭の人のことがよくわからないくらい遠いが、確実につながっている、そんなところも
よく理解できるように思います。
だとすると、その細胞全部が集まった人間という存在をひとつひとつにつなぎとめているもの、それこをが魂と呼ばれるものであり、特定の宗教ではなく、生命の畏怖心を呼び覚ます、大きなものを思うときの感覚ではないでしょうか。
目の前の人を自分の一部だと思うことができれば、その弱さを理解することも、人を攻撃することはすなわち自分に対する攻撃だということもわかり、相手に対する怒りもなくなるはずです。
頭ではわかっていても、イラっとすることはたくさんたくさんあるし、感情的にもなるし・・・自分自身、なかなか大人にはなりきれくて試行錯誤中ではあるけれど、
帯にでかでかと「生きにくさや孤独は、手放せる。」と書いてあるだけあって、
「それぞれが心地よく生きる」ためのヒントが詰まった本でした。
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