「関係人口」のバズワード化、の先に見たい未来

最近、流行っている?「関係人口」。

地方はキラキラした側面ばかりじゃないはずなんだけどな~・・・、という個人的なもやもやは、

でも、今は、インディーズからメジャー転換を画策する時期に差し掛かっているのかもしれなくて、

そのためにはたくさんの人に興味を持ってもらうにはキラキラを強調することも必要・・・と思ってなんとなく解消できたのだけど。

 →「関係人口」はメジャーで花を咲かせるか


 もう一つ、雑誌を読んでいておや?と手が止まった点がある。


 「関係人口のつくり方 Q&A」という記事に代表されるような

 関係人口に「なってみよう!とキラキラと勧める」感じ。

 それって・・・何のためなんだったっけ?

 

 「流行ってる」という最近の体感もあいまって、脳裏によぎる感想。

 「何か・・・バズワード化してるなあ」


 バズワード(英: buzzword)とは、一見、説得力があるように見えるが、具体性がなく明確な合意や定義のないキーワードのことである。(wikipediaより)


 そもそも「関係人口」とは何ぞや・・・いまさらながらそんな疑問も浮かぶ。

 「移住者ではないけれど、その地域の活動に何らかの形で関わっている人」くらいのゆるーい認識はあったけれど、

 あらためて問われると人に説明できるかというとできない気がして。


 「ソトコト」には、こう書いてあった。

 ・観光以上、移住未満の、第三の人口!

 ・交流でもなく定住でもないローカルイノベーション

 なんのこっちゃ・・・特に2つめ。


 「バズワード自体がバズワード」という言葉遊びみたいなこともwikipediaに書いてあったけど、

 いま時点、「関係人口」は間違いなくバズワードになってるな・・・と。



 バズワードそのものが悪いとはまったく思っていなくて。

 言葉なんて生き物だし、全部が全部、定義をはっきりきっちり明確にしなきゃいけないとも思わない。

 ただ、バズって流行って、バズワード化したものは往々にして「手段と目的の逆転」が起こりやすい。


 「これからの時代は、ウェアラブル端末!」

 「ビッグデータを活用して何かやれませんか?」

 ・・・それ、逆だから、的な。


 「何をやりたいか」「何の課題を解決したいか」が先にあって、

 その解決手段としてビッグデータを使って分析できるね、とか本当はそっちだからね、と。

 「関係人口」も同じ過ちにはまりこんでいる人いませんかね、と思ったり・・・する。



 私がそういうことをわりと強めに思うのには理由があって。

 何人か、いわゆる「関係人口」にあてはめることができる、

 地域で活躍・活動する方々の話をイベントだったり直接だったり・・で、聞いたことがあるのだけれど。

 

 本当のことはご本人しかわからないし、あくまでも私の印象だけど、

 その誰しもが「地域」は「入口」ではなかったように思う。


 自分のやりたいこと・やってみたいこと、興味があること、

 追求したい生き方や働き方、目指したい未来・・・なにかがあって、

 それを追い求めた先に「手段としての地域」があり、

 「結果として関係人口になっていた」のではないかと思うのだ。

 

 個人の側であれ、受入れる地域の側であれ、

 「何のために」を見つめないまま、「関係人口」そのものを目的にしたところで、

 「よくわからないけど、ビッグデータ使ってみました」ツールが

 「何の課題も解決しない役に立たないろくでもないシステム」に成り下がってしまうのと、

 同じことが起こってしまうのではないかと感じてしまう。

 (直感ですけどね・・・)

 

 受入れる側も。

 「関係人口さえ入ってくれば万事解決」な自治体なんて一つもなくて、

 それぞれのまち特有の課題があり、特有の望ましい関わり方があるはず、と思う。

 

 様々な「ローカルヒーロー」が紹介されているこの本も。

 

 ここで触れられているみんな、地域に入った動機も違えば、追求しているものも違う。

 やり方も違う。

 逆説的だけど、そうやってちゃんと追求して地道にコツコツやってきたからこそ

 「ローカルヒーロー」なれたんじゃないかな、と、読んで思ったし。



 とはいえ、関わる個人、の視点では「関係人口? 楽しそう♪」という気持ちが

 最初の入口にあるのは悪いことではないと思う。

 むしろ、それで良いと思う。

 堅苦しいことばかりではなくて、楽しさを追求できることは良いこと・・とは思う。


 でも、どうしてそれに興味を持ったのか、は自分の中に何か理由があるんだと思うので。

 自分は何がしたいのか、を地域に興味を持った理由と合わせて、

 楽しみながらもじっくり考えてもいいんじゃないかな・・・と、願っている。

 すぐに答えが出ることばかりじゃないし、時間はかけてもいいんだと思うけど。


 単に「楽しいから♪」だけでは、「関係人口」はただの「消費されるレジャー」になってしまう。

 そんな危惧を覚える今日この頃なので。


 「関係人口」が増えたら何が起こるのか・・・

 ソトコトにはこう書いてあった。

 「関係人口が増えていくことで、地域が盛り上がり、幸せになっていく。」


 ・・・飛躍しすぎでは・・・、とつっこみたくなるけれど(笑)

 そういう未来を信じていて提唱しようとしているのだな、と、今は解釈している。


 間に入るいくつもの言葉が端折られているんだろうけど。

 でも、その間に入るものは「人それぞれ、まちそれぞれ」でしかないんだと思う。

 その「それぞれ」を人もまちも丁寧に見つめて一つずつ紡いでいけたらいい。


 自分はなんだろう・・・どういう未来を見たいんだろう・・・

 一番は「それぞれがそれぞれに幸せな生き方・働き方が選べる多様な選択肢を増やしたい」だけど。


 さらにその先は・・・

 すっごく大上段に言ってしまうと「この国の社会システムの再構築」なのかもしれない。(我ながら飛躍・・・)


 いまのシステムを維持することは難しいだろうな、と薄々、いや、確実に思ってはいるのだけれど、

 原因は一つじゃなくて複雑にからみあっていて・・・

 そこで何を変えればいいのか、自分は何をすればいいのか、はなかなか普段考えられないし、正解は得られない。


 けど、地方は都会よりも色んな社会システムへの距離が近い場所が残っているんじゃないかな、と思っていて。

 色んなことを身近に感じる分、「なんで今こうなっちゃってるんだっけ・・」が見えやすいのではないかと推論している。


 地方は、都会に比べて「崩壊寸前」な場所も多い。

 「地方と都会」を比較することで「あれ?なんで違うんだっけ?」と考えるきっかけになることもあるかもしれない。

 そのことが異なる価値観同士、理解し合うことに役立つかもしれない。

 そういうことを考えられる人が今より増えたら・・いいんじゃないかなあ・・・。


 まだ、ぼんやり妄想しているだけで確信は得られていないけれど、

 今は、そういう夢を見ています。


 よく読めば、「ソトコト」も、紹介されている事例は「答え」ではなく、答えは「みなさん自身のかかわり方そのものにあり、それが全て」って書いてあるしね・・・


 雑誌を読んでからつらつらと考えていた「関係人口」に関することの結論としては、

 ”「流行」は横目で見つつ、そこから生まれる新たな刺激、色んな人を歓迎しつつも、やりたい「それぞれ」を変わらず追求していたい。”

 それに尽きる、気がしています。


 

 

  

   

 

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