「女性は○○だね」と褒められても、あんまり嬉しくないんです。


サラリーマンとして「会社の飲み会も楽しいですよ」とこないだ書いたところなんですけど。

たまー・・に「・・・今回はやめとこ」と参加しない選択をすることもあります。

ほんのたまに、だけど、前よりその回数は微増した気がしています。


単純に地元との週末往復回数が増えたり、今年は色々と休みの日に出歩いたりも多かったので、

体力(+お金もね・・!)温存のためだと思っていたのだけど。

ふと。


それだけじゃないかも・・・、と。

なんとなく思い至りました。


「なにごとも人それぞれだよね」という”己の価値観”が強くなっていくにつれ、

逆に”それぞれを前提としない”ような価値観、

なんというか「レッテル貼ってる」感じの発言を聞くと、

知らず知らず疲れている自分がいて、そういう風に疲れそうな場を避けるようになったのかもしれない、と。


例えば。

「男って○○だからね~」

「女性は○○だよね」

とか。


別に誰を貶めるわけでもない、悪気もない、

お酒の席での他愛もないそんなコミュニケーションに

「ひとくくりにしないでほしいんだけどなあ・・・」ともやもやするようになってしまった。


ああ、気難しい、めんどくさいわ、私ってば。


ちなみに自社は「セクハラ」教育が徹底しているので、

「結婚はまだ?」「子どもは?」なんてことが女性相手に言われることは無いし、

女性蔑視や性的対象とされるような不愉快な発言もありません。(少なくとも自分の周囲は)


とても平和。恵まれていると思います。

それでも、「性別」で線引きをされてしまうこと、それ自体は時々あって・・・


もやっとしてしまいます。


わたしは、社内で人事・教育部門、総務部門関係の仕事をしているのですけども。

社内の酒席で仕事の話になったので、

「この仕事には社員への”愛”が必要だと思うんですよー」と酔っぱらって話したら、

「さすが。女性にはそれが出来るよね」と男性のボスからにこにこ返されて

むー・・・となります。


・・・・なんでや。

それ、性別、関係ある・・?

他にも丁寧な・親切な仕事をしようとすると「母性だね~」という単語をもって

誉められることもあった。

言っている方は悪気はまったくないんだろうけど・・・。


男性には「愛ある仕事」が出来ないわけ?

出来る人もいるでしょ。


人それぞれ向き不向きでしょ。

女性だって、向いてない人いるでしょ、男性で向いてる人もいるでしょ。

もやもやもや。


一応、「男女関係ないと思いますよー」くらいは返すこともありますが、

酒席ということもあり、ぜんぜん相手には響いていない。


それ以上、力説して否定するのもカドが立つしなあ・・・。

考えすぎてしまう自分、こんなことで目くじら立てたくないなあ、と悩む自分もいるけれど。

うーん・・・もやもや。


もちろん毎回そういう風にもやもやしているわけじゃなくて、

まったく気にならずに楽しく飲む時のほうが多いんですけど。

「きっとまたもやもやする予感がするな~・・」と第六感が働く?場は、

「ちょっと今回だけやめとこうかな」と思うようになりました。


話は少しそれますけど、

以前、どこかで読みました。(私なりの解釈が入っている意訳ですが)

「多様性、ダイバーシティ、というのは

 同質的集団に異質なものが入ってくるということなので、

 本来は”居心地が悪くなる”もの」

「心地よいだけの空間が維持できているのだとしたら、

 その集団は真の意味の”ダイバーシティ”は実現出来ていない」


”もやもや”について考えていた時、

「ああ、だからちょっとだけ”居心地が悪い”と感じることが増えたのかなあ」とも思いました。

異質なものをありのままに異質なものとして受け入れる度量のある集団でない時に、

わたしは「うーむ・・・」とあれこれ考えて、楽しくなくなってしまうのかもしれない、と。


そして、「女性は○○」「男性は○○」と「ひとくくりコミュニケーション」はある意味、

省エネというか、楽なのかもな(楽だったのかもな)、とも思いました。

「この”個体”はどういう価値観を持っているのか」を

いちいち探ったりしなくていいし、

「私はこうです」と表明する必要も無い、違う価値観を相手に「わかってもらう」労力をかける必要も無い。

対立も生まれにくい。


日本は、比較的、同質性の高い集団、だと言われるし、たぶん、その側面は大きい。

本当の意味の「多様性」に慣れている人は、まだとても少ないんじゃないかな・・・、とも思います。


なんとなく、私がたまーに感じる酒席の”もやもや”の

原因や解決の糸口はそのあたりにあるような気はします。

今は全然考えがまとまってないけれど。


「それぞれ」が認められるようになるためには、

慣れるまでは多少の「居心地の悪さ」を経ていくことは必然なのかもしれないなあ・・・

どうやって、その居心地の悪さを解消していくのがいいのかしらねえ・・・

まだまだ私はうまい策が見つけられていません。

(繰り返しますが、自分の周囲はそんなもやもやを感じさせない人の方が圧倒的大多数ですけど)


試行錯誤ですね・・・いろいろ。

「もやもやすることもありますよね」ということを記録しておこう、と、なんとなく思ったので。

つらつらと書きました。

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