自分の目に映るものが世界の全てではないと思います。

時々、呟いたり友だちに話したりしていること。

そのうち書こうと思ってたけど、なんとなく、今、書いておこう、と思いました。


否定的な「日本は~」とか「この国は~」とか、そういう「主語の大きい話」を声高に言う人がどうも好きになれない。

たいていの場合、それはなにげなくネットを見たときの「一般人のつぶやき」という形で目の前に現れるんですけど。(SNSとか)


似たものでは「日本の会社は~」とかも嫌い。

「一部の会社でそういうところはある・あるかもしれないけど、

 それを全ての会社がそうだと、勝手にレッテル貼るのはやめてくれませんか。

 少なくとも私の勤める会社は違いますよ。

 外資でもなんでもないド日本企業ですよ・・!」と。


それは「その人が見ている世界」でしかない、と思っています。

「自分のまわりはこうだ」

「自分の経験はこうだ」

「自分はこう思う」

とかを自覚できてるんだったらいいんだけど。


なんで世界には、色んな人がいて多様性溢れていて、それが面白いのに、

「〇〇は~」とか安易に断定しようとするだろう。


その、あなたの狭い視野をもって、「〇〇は~」とか言ってほしくないわけですよ、こっちは。

もっと、色々な、複雑な面を、知りたいし見たいんです。


「都会は~」「田舎は~」とかも「ひとくくりにして」論じようとしているものもとても苦手。

そういう考えは、積極的に絶滅させていきたい、と思っています。

(記事とかインタビューとかをまとめたり、発信や発言をコンパクトにまとめなければいけない都合上、

 そうなっているものは多々あると思うので、全部が全部、消えてなくなれ!と思うわけではないけれど)


実際にその瞬間の顔を見たことは無いけれど、そういうことを言う人は、

なんか、その時に「無駄にドヤ顔してそう・・」と思う。


そのての「イラっと」する場面で、いつも思い出すことがあります。


数年前の出来事でした。

職場みんなで集まって受講する、とある研修のグループディスカッションの場で

旦那さんの転勤で東京に引っ越してきて1年が経たない関西出身の若い女性が言った。

その人は妊婦さんだった。


「”東京の人”って冷たいですよね! 電車譲りませんよね。

 ゆずってもらえたことないです!(怒)」 


研修の主題とは多少違うところのコメントだったし、時間も無かったので、

その場の流れ的に口をはさめなかった、はさまなかった。


でも、今、思えば、あの時に、ちゃんと彼女を諫めておけばよかったな、と思う。

「ちょっとそこの娘さん。そんな”私の世界は世界の全て”な考えで親になる気ですかね?」

くらい言ってやれば良かった、と今でも後悔している。

(ヘタレなのでそんなことは実際言えないであろうことは自覚しています)


その時、内心思っていたことは、こうです。


「・・・だまれ・・!

 私は3回譲られたことあるっちゅうねん!!

 

 もちろん東京のど真ん中でや。

 トーキョーメトロ!でや。


 言っとくけど、私は経産婦じゃないからな。

 何が言いたいかと言うと、”妊婦でもないのに"席を譲って頂けるんやぞ。

 当たり前やけど、マタニティーマークなんてつけてへんぞ。

 Aラインのふわっとしたワンピ来て、重そうな紙袋とか持ってると、

 皆さんにこやかにどうぞ、と言ってくださるぞ。

 男性の時もあるし、女性の時もあったわ。


 こっちはとっさに何が起こったかわからずに『え?いいです』と断ってしまうけど、

 相手の優しそうな笑顔を見て『妊婦だと勘違いされてる・・』と気づいて、

 『妊娠してないです』と言って相手に『しまった!』と思わせることもしのびなく、

 かといって座ることもいたたまれず

 『すぐ降りるんで^^』とか口走ってしまい、

 目的地とはぜんぜん違う駅で降りる羽目になるんやぞ!


 なにをもって”東京の人は冷たい”とか言うてるか、

 この下腹ぽっこりぽっちゃり体型の私の前でもう1回言うてみい!」


ちなみに、その娘さんが「東京は冷たい」と言い放ったとき、彼女はドヤ顔をしていたように記憶しています。

20代そこそこにも見える美人でとても華奢・スレンダーな娘さんでした。

(万が一、これ読んでしまって傷つけたらごめん・・・

 でも、私も傷ついたんですよ、長年住んできた「東京」という場所を不当に貶められて。)


私の目に映る「東京の人」は全然冷たくなんかないですよ(主張)。

(正確に言うと、冷たい人も暖かい人もいろんな人がいるんだと思います)


世界は広い、と思う。

自分の目で見ることは大事で、そうやって見たことをもとに、思考して”己の考え”を形作っていくというかそうするしか無いと思うんだけど、

「自分が見たものがこの世界のすべて」というのは

あまりにも人として未熟に思えるし、危険な思い込みだと思うけどな、ということは言っていきたいなあ・・・とあらためて思ったので書きました。


そんなこんなで(どんな?)、「主語が大きい人」かつ「その対象を否定する人」を見たら、

これからは後悔しないように必要に応じて「それは大変だね・辛いね」くらいの慰めはしたとしても

「でも、それはあなたの周りがそうなだけかもしれないんだよね。ごめんなさいね。

 でも、変なレッテル貼るのはやめてもらえると嬉しいんですよね」

ということを出来るだけちゃんと伝えられる人間になりたいなあ、と思っています。


 ※ ヘタレだから出来るかどうかわかんないけど・・・

 ※ 当然、自分も完璧には出来ていないとは思うので、

   天に唾吐いてたらごめんなさい。。。 

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