3年くらい前から、奈良にある祖父母が住んでいた空き家に時々通っています。
友人と共に、時々、庭で小さい小さい古本市なんかもしています。
2018年の冬、その庭にチューリップが植えられ、
春になり、色とりどりの花が咲きました。(⇒ひっそりとチューリップまつり、なんかをしました)
2回目となる今年。
チューリップはすくすく育っています。
(現地のご近所さんが写真を撮って送ってくださいました。なんてありがたい・・)
空き家に通い始めた頃も、
ここを「ブックセンター」にできないかな~と考え始めた頃も、
花を植えるようになるとは想像していませんでした。
(何を隠そう、わたしは観葉植物を枯らしてしまうタイプの人間・・)
それが、様々な人との出会いがあり、ご好意があり、
偶然にも、こうやって花が咲くのを待つことの喜びを享受できるようになった。
本当に幸運なことだなあ、と思います。
吉本ばななの『キッチン』という本が、あります。
子どもの頃からなんとなくずっと側にあり、
何度も読み返している小説です。
その中にこんなせりふがあります。
「本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子供とかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ。そこからがはじまりなのよ。」
自分以外の人に支えてもらっている庭なので・・「育てる」なんておこがましいですが、
それでも、空き家の庭のチューリップが大きくなっていく様子を見ていると、
(実際には遠方に住んでいるので、日々見れるわけでもないのですが)
その言葉をいつも思い出します。
暗記するくらい、その言葉は脳内にあったのに、
実際に体感するまで、その台詞が意味するところがわかってなかったな~とも思います。
私には、花をコントロールすることは出来なくて、
大事にすることはできるけど、
それ以上はできなくて、あるがままにその姿を受け止めるしかないんだな、と。
言葉にすると月並みですが、そんな風に思います。
2020年の春。
思いがけず、世界はパンデミック禍です。
目に見えなくて得体が知れなくて、
気をつけようにもどう気をつけたらいいか分からなくて、
人びとの不安、それ自体が不穏な空気を作ってるな~という様子も少し感じます。
実際に罹患したり、苦しんだり、不便を強いられたりしている人もたくさんいるでしょうし、
病気のみならず経済的にも今や未来の不安でざわざわしている人もきっとたくさん、いる。
私なんかが安易なこと・滅多なことは言うものではない・・かもしれません。
でも。春になると、花は、咲きます。咲いています。
その花を見て、「綺麗だなー」と笑顔になることも、できます。
日本国内、大都会であっても駅前に木の一本、花壇の一つも無いところは
あまり無いと思うので。
もし、気分が沈んでしまったら、ちょっと植物をぼーっと眺めてみるのもいいですよ、と思います。
花や木や草は・・そこにあるので。
ふっと心をゆるめるというか、肩の力をほぐす瞬間があればいいなあ、と思っています。
ということで・・・私は今は庭のチューリップを思って「いつ咲くかな~」と呑気にうきうきしています。
咲いたら咲いたで「美しいわあ」と、へらへら喜ぶんだと思います。
今年の春も、自然を、花を、愛でたいと思います。
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