緊急事態宣言からだいたい半年経っていた。


「仕事本」を読んだ。

色々な職業の人の「日記」(本)を読むというのは、大好き。

とても面白い。

こういう本が企画・出版されたことが心から嬉しい。

(そう言いつつ、買って今まで積ん読になっていたのだけど)


2020年4月。

緊急事態宣言がちょうど出された頃。

ちょうどだいたい半年前のことなんだな、と思う。


色んな人が政権に怒っていたなあ・・・

本を読んで、あの頃の空気感を、少し思い出した。


・・・その空気感に嫌気がさしていた。

その理由は当時もわかっていたけど、半年経ってやっぱりなあ、と、思う。

半年もあったのに、季節が半周したというのに、じゃあ、怒っていた人のうちの誰かが

「自ら政治の道に進もう」とか「政治を学ぼう」とか、そういう「当事者」の行動に出た事例はあまり見かけない。


半年経っても、相変わらず、同じように怒っている。


ネットの世論が政治を変えたことはゼロではなかったし、それはそれで現代だなあ、と思うことはあったけど、

相変わらず多くの人は、そこで「その民意を汲んで実行に盛り込んだ誰か」の一人の人間としての存在に思いを馳せることもなければ、

自らがそういう存在になろうとする人もあまり、いない。

(ように、見えます。あくまでも私の観測範囲での偏見なので、違っていたらごめんなさい)


安全圏で自分は何ら手を動かさずに、誰かのやることを批判・批評するというのは、娯楽として、とても楽しい。

文学であれ、お笑いであれ、スポーツであれ。

ああだこうだ言うのがファンとしては楽しいし、そこに対象としてのリスペクトがあって、そうやってその業界は発展する、と思っている。


「仕事」だって、そうかもしれない。

こんな仕事、こんな会社、ラクなもんじゃないよ、いいもんじゃないよ、とぶつぶつ言ったりもしながら、

それでも「愛」をもって働いている人が多い場所は、希望が、ある。


でもな~・・なんでだろ、こと政治や政治家に限っては「批判・批評される側」と「当事者」の間の分断がおそろしく激しくて、対象へのリスペクトがあまりにも無いのがいつも気になる。

自分自身だって、「政治に参加している一主体」だと考えることができれば、そんな一方的な批判なんて普通できないと思うんですけど・・・

「怒りとしてのエンターテイメント消費」を楽しんでいるだけなんじゃないかと、たびたび困惑する。

首相も一人の人間だと思うんだけどね、という当たり前のことですらつぶやくと叩かれそうなのは、なぜだ。

なんでなんだろうなあ・・・・10年以上考えているけど、まだいまいち答えは出ない。


(一つの答えは「都会のほうが分断が激しい」なのは間違いなくて、

 小さい自治体で地に足ついた生活をしている人ほど「おらが町の政治家」の顔が見えやすい環境に生きられる確率が高いので、

 主体的な思考回路が持ちやすくなるし、問題意識の持ち方や伝え方が健全になりやすい、と、思う。

 なので私は地方に何らかの形で関わる人が増えるといいな、と願っているのだけど)


さて、「仕事本」。

みんながみんな政治への文句ばっか書いてるわけではないのが救いで、

懸命に働いたり、鷹揚にかまえたり、できることに一つずつ淡々と向き合ったり、

当然ながらピンチに陥っている人もたくさんいるし、愚痴もあるけれど、

でも、それぞれがそれぞれの仕事(や、生き方)を何らかの形で見つめていて、

その仕事の日々を生きていて、それを文章に著していて。

こういう本はやっぱり本当に好きだな、と思った。


良い本だ・・・・


私といえば、偉そうに言えることは何もなく。

おとなしく過ごしている。


4月以降、在宅勤務中心になり仕事に多少の混乱は生じたけれど、

同僚とのコミュニケーションを絶やすことだけはしないように、

リモートになったことで起こる職場の問題が少しでも最小化されるように。

「半径50センチ」の世界をなるべく壊さないように、大事にしようと思って生活していた。


オンライン飲み会、みたいなこともしてみたけれど、「これからの時代」なんて大層なことは考えなかった。

あえて変えたとしたら、知人の飲食店の通販をはじめとした「お取り寄せ」をいくつかしたことと

「思い立ったら通販(e-hon)で本をまとめ買う」ことを習慣にしたことくらい。

在宅勤務は座りっぱなしなので、ラジオ体操をしたり、お経を聞いて背筋を伸ばすようにもしたり、はちょこちょこした。


本は、読んだ。

読みたい、と思う本は通販購入した。

それでも「買った本から、読み始める」自分ルールはそのままにしたので

取り寄せた本は、基本的に、積まれることとなったけど。買った。


私財を投じたり、何か大々的な支援をしたり、プロジェクトを立ち上げたり・・・

そういうことにいまいち乗り切れない「ただの人」の自分は、

ただ本を買ってただ読む、ことしかしなかった、できなかった。


「変化」というのは、良くも悪くも人間にとってはストレスになる。

当時、「秋になったら」を合言葉のように動いている人がたくさんいて、水を差してしまうようで言えなかったけど、

そんなに簡単に落ち着くのかな?と思っていた。

もっと言えば落ち着くわけはないと思っていたし、「この変化は、そこそこ長期化する可能性はあるよな」とうっすら思っていた。

(「早く収束してほしい」という祈りを大事にする気持ちは別として)


もともとメンタルがあまり丈夫ではない(変化に弱い)ほうなので、

否応なく巻き込まれる変化に受動的でいようとどこかで決めていた。

ここでもし張り切ってしまったら3か月くらいしたら嫌な折れ方をするような気がしたので、

「わたしは、今はサナギでいたほうがいい」と、できるだけひっそりと過ごした。


・・・あの頃。

あの春から夏にかけての頃。

ふわふわと浮ついた空気にだけは流されないようにせねば、と片目を瞑って生きていた気がするし、

不安や苦しさは、他人への攻撃に容易に転化してしまうから、それも避けなければ、穏やかに生きなければ、と意識していた。

(100%できたかは、当然、自信は無いけれど)


大きな大きな変化に世界中が晒されていた時期があって、その変化は今も続いている。

「仕事本」を読むと、当時、とても大きなストレスを抱えた人がたくさんいたことを思い出す。

そのストレス・・・・いまは、ちゃんと癒されているといいけど・・・と思うけど、今がしんどい人がゼロになっているわけはない。

疲れがたまっていないかなあ、無理がたたって限界が生じていたりしないだろうか。

本に出ていた人だけじゃなくて、その背後には同じようなしんどさを抱える人がたくさんいただろう、いるだろう。


・・・みんな、元気かなあ・・・

少しでも元気に生きている人がたくさんいるといいなあ・・・


季節は巡り、秋になった。

最近の世間話はいつも「冬になったら、寒くなったら、また、コロナはどうなるんでしょうね」。

先行きは、不透明。

ネガティブか、ポジティブかはともかく「不透明」。


自分自身は、正直、甘々な生活を送っていると思う。ぬるま湯にいる。

夏からは職場が変わって、週に何日かは会社に行くようになったけれど、

在宅勤務にもすっかり慣れた。これはこれで楽しいし、快適なこともある。

食うに困っているわけではないし、サラリーマンとしての生活が普通にある。


おおっぴらには言いにくい世の中だけど、夏からはこっそりと旅行もしている。

(人との接触はしないように・・だけど、旅先でも本を買って、酒を飲んでいる)


半年経って世の中はどうなったのだろう・・・

自分から見える景色だけだと、わかるようで、わからない。


個人的には、いまいまは、夏ごろから妙に仕事が忙しくて落ち着いていないから、

少しへこたれ気味ではあるのだけれど、それはいたって「平和な落ち込み」で、

しょんぼり基調ではあっても週末には回復するし、

毎日、本を読み、人と話し、ご飯を美味しく食べ、時々、お酒を飲んでいる。


楽しく過ごしてはいたけれど、気持ちのうえで「ひっそり」していたこの半年。

二拠点目指していた奈良には当然一度も行けていないし、

本は専ら「読む」だけで、「ブックセンター見習い」活動は何一つしなかった半年間。


まだまだ先は、わからない。

大好きなエンターテイメントの世界が様変わりしてしまって元には戻っていないし、

戻るのかもわからない。(やるせなくて、そのことは敢えて考えないようにしていると思う)

けど、私は、本があって良かったし、人がいて良かったし、酒があって良かった。


人それぞれ過ごした半年があるんだろうけど、

自分自身は、そういう当たり前のことを「仕事本」を読んであらためて考えた。

もっともっと本が読みたい、人と会って酒も飲みたい。


どうやったら出来る・・・かなあ・・・

バタバタと落ち着いていない日々だし、なんせ「健康第一」な昨今、無理は決してしないようにしなければ・・とは思う。

でも、のそのそっと熊が冬眠から目覚めるが如く、のろのろと、

少しずつ、また、一つずつ、やりたいことが出てくるような気が、します。


そんな「あれから半年後」のことを記録しておきたくて、つらつらと今日は書きました。

(短くシンプル・・・に憧れるけど、いつも書き出すとだらだらと長文になってしまうなあ・・・)

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