見通し立たず・・・それでも、地元の「空き家活用」を試みたい3つの理由。

1年近く模索している「空き家活用」。

すんなり実現する見込みはまったく立っていませんが、それでも「模索」自体を楽しんでいるから、まあいっか、というのがいまの心持ちです。


親族は、首都圏に住んで仕事している私がその家に興味を持ったことを意外に捉えているようで・・・

「え、帰ってくるってこと?」「いや、そうではないよ」というやり取りがあったり、

友人との間でも「じゃあ、ゆくゆく奈良に帰るの?」「いや、違う~」という会話も何度かありました。


Uターンしたいわけではないけど、地元の空き家は活用したい。

その理由はいくつかあります。


1.会社の仕事以外での”活動”を探していたから。

会社での仕事は大好きだし、本気でやりたい(やってる)し、定年まで働きたいなあ、と思ってはいます。

でも、就職超氷河期世代なので、どこか頭の片隅に「会社が潰れても生きていけるようになっていなければ」という考えを自分は持っている気がします。

なので、会社だけに自分のリソースを100%使うのではなく、何%かは別のことに振り分けられないかな~という価値観です。


もう一つ「会社以外」を探す理由は、会社は定年があるので「死ぬまで働けない」こと。

我が家は長寿家系だし、きっと自分は長生きするだろう、という確信があるので、

「定年になってから暇や~とならないようにしたい。そのためには今から会社以外にも目を向けていたい」と30歳を過ぎたあたりから思うようになっていました。


趣味はたくさんあるし、キャリアカウンセリングの資格に関連する勉強も好きだし、

ボランティアに手を出してみたり、町内会の活動もしてみたり・・・あれこれやりたいこともあって時間は足りないものの、

その中でひとつ軸となるような「これ!」というライフワークが欲しい、と探し続けていました。


2.地元に関わる理由がもう一つ欲しかったから。

大学進学と同時に上京してからというもの、友だちにも恵まれ、

一度もホームシックにかかることなく、首都圏生活を送り、そのまま就職した私ですが、

当たり前のように長期休暇は地元に帰っていました。

 

それは仲良しの地元の友だちと遊ぶため・・・に他ならず、

今みたいに「地元好き」という感覚ではなかったのだけど、

自分にとって「定期的に関西に帰って体内に西の空気を入れること」は年間行事として欠かせないものとして当たり前に存在していました。


これからもそうやって帰省し続けるだろうと思うけど、

ここ1、2年は「地方創生」というキーワードが耳に入ってきたり、

実際に、そういう活動をしている人びとに触れ合うきっかけが増えたり

「どうせなら単に”遊びに帰るだけ”でない何かがあってもいいなあ」と思うようになっていました。


3.買い手も借り手も見つからないから。

身も蓋もないですけど、最終的にはこれに尽きます(笑)。

誰かに使ってもらえるのであれば、そもそも自分自身が「活用」を考えよう、という状態にはならないし・・・・


「地元で何かあってもいいなあ」と思い始めていた頃に「使いみちが無いから、空いてしまっている」と聞いた頃はほぼ同じ。

祖父母が亡くなって5年経つので空き家状態は5年間続いていたのだけど、その頃まではその家のことが話題にのぼることはなく、わたし自身も忘れてしまっていました。

それもあってその話が出た時、タイミングの良さに驚いたというか、脳内に「この空き家はライフワークの種になるかも・・・?」と、直感的に思いました。


そう、「直感」です。

なんだかんだ理由を後付けすることはあっても、最後は直感。


空いているからといって、早急に何かしなければ困る、というわけではないし、

まして遠く離れた場所に住んでいる自分が対処を考える必然性は、実はそこまで高くないんだけど・・・

でも、「やってみたい」と思ってしまった、のが理由です。


それに「結果として、なんとも活用できなかったとしても、その模索したこと自体が面白い経験になりそうだな~」という気持ちもあって、こっちはもはや「確信」に近い。


結果として、あれこれ模索すること自体を楽しんでいるので、その直感は当たったな、と思っています。


「活用」に至るまでは、正直、気が遠くなるような道のりが控えているのだと思うのだけど

「楽しい」と思い続けられるうちは、引き続き、模索を続けていこうと思っています。

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