2018年10月8日(月)に開催予定の「初瀬の小さな古本市」。
(ちょっとずつ準備しています)
その名の通り、開催場所のある古い空き家は「初瀬(はせ)」という街にあります。
先日、この場所について、少し、母や伯母と話す機会がありました。
この土地は私にとっては「母方の実家」。
すなわち、母と伯母にとっては生家で、結婚して家を出るまで暮らした街です。
空き家を使って何かやれないかな・・という話は、
2人にも伝わっていて、基本的に「好きにすれば」と了解は得ていたのですが、
いざ、改修始めるかも、という段になったこともあり、
色々あって(←これはまたいつか書きたい・・)、直接、ちょっとだけ会うこととなりました。
「反対」されたり、文句を言われたり、ということは無いのですが、
伯母も「なんで、そんなこと(空き家活用)するの?」というのが
どうにもこうにも理解できない様子。
まあ、わたしが「生活の拠点も仕事も関東から移す気は今は無い」と言っているので、
当然といえば当然の反応ではあるかなあ・・うん。
ずっと関西で暮らしてきた60代の伯母ちゃんには、「2拠点志向」の概念は今は無い・・・。
わたしもそんなに論理的な説明が上手に出来るほうではなく、
色々あれこれ喋っていたのですが、
とある会話から「なるほど~」と思ったことがありました。
会話の中で伯母ちゃんが言ったのです。
「初瀬なんて、あんな何もないところ、どうにもならんやろ~。年寄りばっかし」
さすが関西の女。言葉に遠慮が無い・・・笑。
ふと、これだけの発言を切り取ると、「理解の薄い保守的なおばちゃん」に聞こえなくもないな、と思いました。
その土地で、今まさに頑張っている人が聞いたら悲しい言葉かもしれないし、
「こういう無理解によって、このまま”地域”は衰退していくしかないのか・・orz」と
希望を失わされてしまう発言、と受け取ることだってできるかもしれない、と。
でも、和やかに会話は続きました。
「あ、でもな。あそこ、すぐ近くに新しい宿(注:ゲストハウスのことをマイルドに表現してみた)とか出来てんねんで。
初瀬以外のとこから移って来て住んだはんねん」
「へえ、あそこに?」
「そう。駅から歩いて行けるとこにパン屋さん出来たり、
何人かよそから引っ越して来てる人もいてるんやで」
「そうなんや。へえ~、全然知らんかったわ~」
「そうそう。外国から観光しに来る人もいたりするで」
「そうなん!☆」
伯母ちゃんも年に何回かは、お墓参りのために、初瀬には帰っているのだけど、
住んでいる家から車で1時間程度で来れるので、
お墓に直行、そのまま直帰。
ゲストハウスもパン屋もそのルートの中には入っていないし、
駅も使わないので、彼女の目に映る初瀬の街は、
「高齢化だけが進んで衰退していく場所」でしか無かったのです。
なるほどな~、と思いました。
わたしは、時々、「見えてる景色が違うだけですよね」という言葉を使います。
(サラリーマン生活で、立場の違う部署をいくつか経験したことからそう思うことが多かったのです)
「無理解」と言うと、否定的なニュアンスが入ってしまうけど、
そうじゃない。
ただ、「見えている景色が違う」だけ。
「こっちから見ると、こういう景色もあるんだよ」ということ伝えれば
それだけで「ほーー、そうなんだね」と、分かりあえることはあるなあ、と思いました。
今回は運良く
伯母と姪、という既に信頼関係が出来ている間柄、だったことと、
伯母の気質として、柔軟性が高く「そんなはずない!」と意固地になる人ではなかったこと、
というラッキーな要因ゆえに、何の衝突も生むことなく、
お互いの見えている景色の交換ができました。良かった。
ついつい、こういう時、自分も「何でわかってくれないの、何もわかっていない(怒)!」と
マイナスに捉えてしまうことがあるけれど・・
淡々と「見えている景色の違い」を見つめなければ・・・
と、あらためて思いました。
「初瀬」は昔を知る人からしたら、賑わいは衰退しているのは間違いないと思います。
けど、ここ数年で新しくできた場所もあって、常に変化しているよー、と。
しばらくはそういうことを地道に伝えていこう。
そういうことも考えた出来事でした。
ということで、来週に迫った一箱古本市。
同時開催する「畳はがし」も含めて、来てくれた人に少しでも普段と違った景色を見てもらえるように精進できればと思います!
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2019.04.13 23:03